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近藤三郎 セレベス新聞社 「プワルタ セレベス」編集長のこと
作成:2014-12-17
加筆: 2015-11-19
太平洋戦争中、海軍軍政下のマカッサルでは、海軍の要請に応じ、毎日新聞系のセレベス新聞社が、日本人向けの「セレベス新聞」のほか、現地住民向けの『プワルタ セレペス(Pewarta Selebes)』を発行していた。発行部数はマカッサルで3万部、メナドで2万8千部、編集長は近藤三郎であった。もともと現地住民の宣撫活動として日本語の新聞記事がインドネシア語に訳されている筈であったが、実態は海軍の方針とは異なる、インドネシアの人達の独立への意識を高める啓蒙を行っていたようだ。
当時毎日新聞社からマカッサルへ派遣され、プワルタ セレペス(Pewarta Selebes)
の編集に携わった黒崎久様さんのコメントも掲載されています。
黒崎久様からのコメント(2015-11-12)
Manai Sophiaan は近藤三郎氏に新聞発行に協力ほしいといわれたので、新聞
発行について知識を求めるためジャワに赴き、ツテを求めてスカルノに会い、大いに
励まされて、近藤氏に協力することを決意、昭和17年12月8日、第1号を発行する
運びとなった。上の写真、第1号プワルタセレベスの第1面は時の総理大臣東条英機の
祝辞で飾られています。Manai Sofiaan が近藤氏に協力を求められた当時、彼は
きまった職に就いていなたったということです。
Manai Sophiaanさんの写真(昭和60年(1985年)12月24日、国連大使の任務を終え、
帰国途中東京に立ち寄り、帝国ホテルで旧セレベス新聞関係者と再会した際に撮影)も
掲載されています。
近藤三郎 セレベス新聞社 「プワルタ セレベス」編集長のこと
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